弁論ブログ

ディベートブログですがニッチなことを書きます。

スーパーパワー論題からカウンターワールド禁止について考えてみる

こんにちは。

 

先日投稿した記事についての続きです。

先に上記記事を読んだほうが読みやすい可能性があります。

前回の記事を投稿した後にプールで泳いでいたらカウンターワールド禁止ルールについての正当性みたいなものを解釈を思いついたので書きます。

 

 

(1)モーション解釈による制約とルールによる制約について

 

まず、このスライドは、prefers X over Yについて書いていますが、

Opp cannot invent a new item to compare to!はルールではなく、prefers X over Yの説明です。

X<Yの相対関係を示すのに、YではないZとXを比較しても意味がないのは当然ですね。

(ふと思いついたんですけど、何かZを用意して、X>ZかつZ>Yを示すことによってX>Yを示すことによってモーションを肯定することが論理的に可能っちゃ可能なわけですが、なんかそれを戦略として使えそうなモーションを思いついた方はコメントください)

 

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次にprefers a world in whichのスライドを貼ります。

prefers a world Xという文章だけだと、S.Q.(our current world)とコンパリすることは読み取れないので、ルールとして、our current worldとコンパリすることを定めているわけです。

つまり、「TH prefers a world~ってモーションが出たら、over our current worldってワードを後ろにつけて解釈してね」というルールであると言い換えることができます。

(なお、後ろに比較対象のつかないprefer Xについて、そんなに詳しく解釈を調べたわけでないので、もしprefer Xについて詳しいニュアンスを知っている人がいたらコメントで教えてください)

 

口語的な感じで直感的に書いてみます

TH prefers a world in which all people have superpowersを後ろに何もつけずに解釈すると、

「みんながスーパーパワー持ってる世界ってよくね?」

というステートメントの真偽を問うているということなので、

「えーでもそれって悪人も持ってるってことだし、全員はよくないんじゃない? 善い人だけだったらいいけどさ・・・」

といえば、ステートメントが偽である主張をすることができます。

 

TH prefers a world in which all people have superpowers over our current world.と単語を足して解釈した場合で考えてみると

「みんながスーパーパワー持ってる世界のほうが今の世界よりもよくね?」

というステートメントの真偽を問うているということなので、

「えーでもそれって悪人も持ってるってことだし、全員はよくないんじゃない? 善い人だけだったらいいけどさ・・・」

と言われたとしても、

「いや、そうかもしれないけど、今の世界よりはいいじゃんって話を俺はしてるんだけど(怒)」

ということになる感じです。

 

 

「ルール」であるということは、逆に言えばブリーフィングで規定されていない大会であればOppはいくらでもカウンターワールドを出せるということでもあります。たとえばMandatory POIルールみたいな感じですね。

 

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(2)なぜルールとして制約する必要があるか 

政策論題のカウンタープランと違い、ルール上の制約がなければ、Oppがいくらでも好き放題できるからじゃないかと思いました。

政策論題においてOppが打てるカンプラは、Govが支持する政策主体による政策策定能力と同程度の政策までならfeasibleであるものとすると考えるのが一般的な解釈なんじゃないかと思います。(一国が主体のモーションで、他国や国際機関が動くようなカンプラを打てない的な)

これをprefers a world論題にそのまま当てはめると、Govは架空の世界を創造することができる主体なので、ルール上の制限が無ければ、Oppも別の架空の世界を創造していいということになります。

これがオッケーだとするとどのような不都合が起こるかという感じで考えていきます。

 

ちなみに、政策論題のOppのfeasibilityについて興味深い考察がなされているブログ記事を貼るのでこちらも読んでみてください。

 

具体的に考えてみます。

Assuming technology, THW implement superpower to all peopleという架空のassuming政策モーションを作って、 

上のTH prefers a world in which all people have superpowersと比較してみましょう。

 

まず前者のモーションは政策論題なので、Oppはallを否定して、superpowerを植え付ける対象をgood peopleだけに絞るカンプラが打てます。

ただし、ここで論題がassumeしているのはtechnology to implement superpowerだけなので、good peopleを政府が正しく選別する能力があるかどうかまでは前提におけず、例えば犯罪履歴の有無やメンタルチェック等で選定することになります。つまりOppが出すカンプラに対して、ある程度論理的にfeasibility的な制約をつける議論を出せることがわかります。

(superpowerがあるってことは少年漫画的に考えると人の心理を読んだり未来予知したりするsuperpowerもあるってことだから、そういった能力者を抱えた第三者機関がgood peopleかどうか判別した上でimplementするカンプラを打たれた場合は知りません)

 

一方、後者のモーションでOppがスライドにあるようにgood peopleのみがsuperpowerを持つ世界を支持してきたとしたらどうでしょうか。

ルール上の制限が無いとすると、恣意的な仮定(将来的に能力を悪用する人にはsuperpowerが備わらない等)をいくつか用意してOppに有利な世界を創造したとしても、allが否定できていれば論理的にはモーションが否定できています。 

結局のところ、assuming政策論題のカンプラと異なり、このOppが用意する恣意的な仮定を否定したり限定したりする根拠が存在しないことが問題で、

Oppが想像力の働く限りいくらでもfeasibilityを仮定できて、やりたい放題できてしまうというところにルール上の制約を設けざるを得ない理由があるのではないかと思った次第です。

 

 

おまけ:カウンターアシュームといえばN島さん

N島さん「ブログでカウンターアシューム取り上げられててわろた」

ぼく「カウンターアシュームといえばN島さんですからね」

N島さん「今はルールで禁止されてるの悲しい」

Kすげ「ニャオのGFでも同じようなことをしてたような、、」

N島さん「あれは反論やから大丈夫(?)」

N島さん「あとあの時は反則じゃなかった」

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